★本編★

其ノ拾伍、時

【主要登場人物】
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【その他登場人物】


*CP*

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あれから翌日。
「…やはり異常はない、か…。」
亥の刻となり、通常時間通りに村の巡回へ出ていた裂は、再び例の樹海の入り口付近に来ていた。

「夜に来てみれば状況がわかると思っていたが…。」
あの混沌とした気配は、やはり気のせいだったのだろうか。
樹海の入り口付近は昼間以上の不気味な雰囲気を醸し出していたが、あのような気配は感じられなかった。

「はあ…。」
昨日の出来事が心に残り、裂は深い溜息をつく。
「…過去のしがらみに囚われているのは俺、か。…そう思われても、無理はないよな…。」
ツヅリは過去、政府組織に身を置いていた者。
犯罪組織に身を置いていた自分とは、長いこと対立してきた。
その者に、今更真実を知ってもらいたいなど、そう簡単に認めてもらえるはずがないのは目に見えている。

「くそ…。」
生き辛い現実に、裂は夜空を見上げる。
黄金に光り輝く満月が、憎いほど眩しく見えた。

「たすけてー!!」
「!!」
突然、助けを求める声が裂の聴覚を微かに刺激する。
声色から、おそらく子供の声だと裂は判断する。
「チッ!あっちか…!?」
少し遠い場所からの叫びだった。
裂は声がした方角を特定し、渾身の力で地を蹴った。

木々を縫うように、裂は小さな竹林を抜け出す。
「!!」
月明かりが照らす先には、泣き噦る白髪の男児の姿。
声の主はこの者で間違い無さそうだ。

裂は急いで男児の元に駆け寄る。
「おい、大丈夫か!?」
「ははうえ、ははうえがぁ…!!」
「…!!」
男児の指差す方向を見て、裂は驚愕する。

禍々しい邪気を放ち、まるで毛玉のように全身を触手が這う怨霊の姿。
余程強い怨念があったのだろう、とても生前の姿は想像できない程に異形と化しており、脚は昆虫のように複脚となり、腕と思われる箇所は増殖し、鋭利な刃に形を変えていた。

そこに、男児と同じ白髪の妖怪・雪女が捕らわれていた。
「ッ…!来ては…なりませぬ…!どうか息子を…!」
息絶え絶えに、雪女の母親は子を連れて逃げるよう促す。
だが、裂は退く気など一切無かった。
「は…、用心棒を甘く見られたら困るな…。」

これまで幾度となく困難に立ち向かってきた。
この村に来るずっと前から。

裂は背に身につけている忍者刀を引き抜く。
怨霊を目掛けてザッと地面を蹴ると、少量の砂利が宙を舞った。

目に見えぬ速さで、裂は怨霊に忍者刀を振りかざす。
「きゃっ…!」
雪女を捕らえる怨霊の触手を断ち切ると、呆気なくも雪女は解放された。
すかさず、裂は雪女を怨霊から引き離し、片手で抱えながら男児の元へ後退する。

しかし、裂はこの時、呻き声一つ上げない怨霊に違和感を感じていた。

「…!あ、あ、ありがとうござい、」
「礼は後で聞いてやる。子供を守れ。」
気が動転し、言葉が出てこない雪女を早急に男児の元へ届けると、裂は服に付属する頭巾を深々と被る。

万華鏡神社の用心棒たるもの、村民の命を脅かす存在は徹底的に駆除しなければならない。

「さて…、遠慮なく行かせてもらうぞ…!」
裂は再び、怨霊めがけて地を蹴った。

裂は独りで戦っているときの時間が好きだった。
犯罪組織に所属していた頃、脱獄するための計画を念入りに立てていた。
もし、この目の前に広がる血の海が、自らを陥れてきたアイツらの残骸だったら。

そう思うと、恨めしくて、虚しくて、楽しくて仕方がなかった。

力強く畝りながら、怨霊が裂に攻撃を仕掛ける。
蛆虫のような触手が、多方向から襲いかかってきた。
「チッ…」
裂は素早い動きで相手の攻撃をかわし、慣れた手つきで忍者刀を振りかざす。
ふと、怨霊の顔らしきものが裂の視界に映った。
「お前…!」
まるでこの時を待っていたと言わんばかりに、血に塗れながらもニヤリと上がる口元。
その光景に、裂の行動が一瞬だけ鈍る。
「お前、何者だッ…!?」

本来、怨霊となった者は、生前の意思だけを頼りに襲いかかってくるものだ。
しかし今、目の前にしている者は完全に違っていた。

暗闇の中に感じる、はっきりとした自我。
それはまるで、今もなお生きているようだった。

鈍った裂の動きに、怨霊の攻撃が容赦なく繰り出される。
「くっ…!!」
触手の生えた怨霊の腕に殴り飛ばされ、裂は救出した雪女の親子の前に投げ出される。

鈍く深い痛みが、肩からじわりと広がる感覚。
殴られたと同時に、あの鋭利な刃で斬られたのだろう。
目の前には、自らのものと思われる鮮血が地に飛び散っていた。

このままでは、この親子共々、怨霊の犠牲となってしまう。
そんなことは、自分が死んでも決して許されない。

襲いかかる怨霊の圧力に、裂は忍者刀を構えて必死に耐える。
しかし、斬られた肩から腕までの感覚が鈍い。
忍術を繰り出す余裕も無く、このまま耐えきるのも、もはや時間の問題だった。

怨霊の片腕が振り上げられ、鋭利な刃がギラリと光るのが見えた。
「ッ…誰かのために死ねるなら、本望だ…。」
グッ、と裂は奥歯を噛み締めながら目を瞑る。

「裂!!」

暗闇の中、自分を呼ぶ声が聞こえる。
それは一番会いたくない者の声だった。

今までは。

「!!」
黒と黄色の服装が印象深い、かつて対立してきた者。
目の前には、こちらに駆けてくるツヅリの姿があった。
「…おいウソだろ…。」
思ってもなかった光景に、裂の口から唖然の言葉が零れ落ちる。

「はぁ!!」
ツヅリは持ち前である特徴的な形の巨大金属武器を構え、迷うことなく怨霊に振りかざす。
おそらく相当の重量がある武器だが、彼女は難なく振り上げ、力と重さで怨霊に立ち向かっていた。

片膝をついていた裂は何とか立ち上がり、感覚の鈍る片腕を庇いながら再び忍者刀を構える。
「っ…お前、何故こんな夜中に…」
「話は後だ!ヤツを片付けるぞ!」
ツヅリが怨霊を引き付けているお陰で、若干の余裕が出来た裂は、すかさず忍術で雪女の親子の周りに結界を作った。

一先ず、これで親子の安全は確保された。

あとはこの怨霊を仕留めるだけだ。
列は負傷しながらも、急ぎツヅリの元へ参戦した。
「チッ…!おい裂、何なんだあいつは…怨霊にしては様子がおかしいぞ…!?」
「…わからない。だが、普通のヤツより危険な存在なのは間違いなさそうだな。」
やはり、ツヅリもこの怨霊の違和感に気付いていた。
そして、この”謎の怪異”は、これまで裂が探っていた気配に酷似していた。

おそらく、この怪異が気配の主で間違いなさそうだ。

保護している親子の為にも、あまり時間は掛けられない。
救援に来たツヅリと力を合わせ、早急にこの戦いを終わらせねば。

「!?」
突然、音もなく怪異が姿を晦ます。
まるで嵐前のような、嫌な静けさだった。

じわりじわりと、強く禍々しい気配が近づいてくる。

「ツヅリ!!上だ!!」
裂の叫びに促され、ツヅリは頭上を向くと、目の前には先程までの怪異の姿。
異形と化した鋭利な刃と、ツヅリの武器が交差し、ギィンッ、と鋭い金属音が周囲を木霊する。
「っ…!ナメんな!!」
ツヅリは持ち前の怪力で跳ね返し、そのままもう片方の武器で怪異の身体をグサリと貫いた。

ぼたぼたと、怪異の鮮血が流れ出し、地面を真っ赤に染め上げる。
途端に、ツヅリの武器で串刺しのままの怪異が顔を上げる。
触手の合間から見えるものに、ツヅリは思わず怯んだ。
顔と形容しがたい箇所は複数の人面が覆い尽くしており、まるで効いていないかのように笑っていた。

『ソノテイド、オソレルニ、タラズ』

「なっ…!?」
パリン、と硝子細工が割れるように、その怪異は突然粉々になり、風に流されるように姿を消してしまった。
「消え、た…?」
再び何処かから襲ってくるのではないかとツヅリは身構える。
しかし、先程までとは打って変わり、その禍々しい気配が一切無くなっていた。
「…消えたというより、逃げたと言う方が正しいかもしれないな…。」
痛む肩を庇いながら、裂はツヅリに近づいた。

なんとも納得できない終わり方に、ツヅリは深々と溜息を吐く。
「裂、…一体、ヤツは…」
「あの!ありがとうございます!!」
言い終わる前に、救出した雪女の母親が子供と手を繋ぎながら礼を述べる。
「ああ!ツヅリ様まで…!御二方とも…なんとお礼を申せば良いか…!」
「礼などいらん。それより、そなたたちが無事で良かった。」
感謝の気持ちを抑えきれない母親に、裂は苦笑いした。

誰かを守り、感謝を得られる。
それが裂にとって、一番の生き甲斐だった。

「裂も、な…。」
「!」
傍らで、ツヅリが笑みを向けながら呟いた。
かつて反発し合っていた者からの賞賛に、裂は一瞬言葉が詰まってしまった。

改めて、裂は状況を整理する。
「コホン…、それより、こんな夜更けに子を連れて出歩くなど感心しないな。…送ってやるから、大人しく帰る事だな。」
「…!申し訳ありませぬ…。この子が、しきりに外に出たがっていたのを許してしまったが故…。」
母親は頭を下げ続けた。
その隣で、しゅんとする子供の前に、ツヅリは目線を合わせるようにしゃがみ込む。
「…何で外に出たがっていたんだい?」
ツヅリは安心させるように笑みを浮かべながら、子供に話しかけた。
これまでの出来事に、子供はオドオドと困りながらもツヅリの問いに答えた。
「…よばれたの、ぼくのなまえ、たくさんのひとに、ずっとよばれていたから…」
「この子を呼ぶ声など、私には聞こえなかったのですが…。それにこんな夜更、村に出歩いている者などそう居ないはずなのに…。」
付け加える母親に、ツヅリと裂は互いに顔を顰めた。
どうやら今回の件は、慎重に探らねばならないようだ。

「うう、ごめんなさい…。」
「もう済んだことだ。次は気をつけるんだぞ?」
ツヅリは子供をあやすように、真っ白な頭を優しく撫でながら約束の指切りをした。

「…そうか、状況は分かった。だがどんな理由であれ、こんな夜更けに出歩くものではない。」
裂は気を緩めず、母親に注意を促した。
「…下手をすれば、取り返しのつかないことになる…。」
声色を下げながら、裂は後ろを振り返る。

そこには、異様な量の鮮血が辺りを覆い、月の光を跳ね返していた。



「…で、ツヅリは何故こんな時間に村をうろついていたんだ?」
親子を家まで送り届けた裂は、ツヅリと共に屋敷へ足を運んでいた。
「…気がかりになっていた。」
裂と言い合いになり、自分の深入りした行動を悔やんでいた。
そしてようやく、長年の心の靄が晴れたのだ。

「昨日の件を謝りたかった。」
ツヅリはゆっくりと歩きながら伝える。
「…何だ、今更そんなことを、」
「今更であろうが、話しておきたいんだ。」
半ばどうでも良いかのように話す裂に対し、ツヅリは一層真剣に答えた。

間接的だが、裂の過去を知った今、あの頃の疑心は一切無くなっていた。
その疑いに満ちた自らの心が、どんなに愚かなことだったか。
ツヅリは反省してもしきれない程だった。

「…過去のしがらみに囚われていたのは私だった。」
ツヅリは自らの発言を酷く後悔していた。
しかし、後悔したところで発言が無かったことになるなどあり得ないこともわかっていた。
「裂はあの犯罪組織…”カミカクシ”から抜け出し、ようやく過去と決別できた。それなのに…、そうとも知らずに私は…、」
「…幻洛から聞いたのか。」
裂はツヅリの真意を察するように答える。

月明かりの照らす静かな夜道を、二人はゆっくりと歩いた。

「確かに俺は、犯罪組織集団”カミカクシ”の団員であり、犯罪者だ。この先どんな善を尽くしても消える事はない、過去の真実だ。」
裂はひたすら前を見ながら話をする。

「俺は、決して良い環境で生まれ育ったとは言えない。常に飢え狂い、生きる為に必死だった。故に、物心がついた時から犯罪に手を染め、その行いをカミカクシに所属する奴らに魅入られ、入団したんだ。」
生まれる場所は選べない。
故に、その環境に適応して生きていかなければならない。

「…カミカクシでは、俺はただの駒だった。良いように扱われ、一切の口出しも許されない。ただ従うだけの毎日に、自我も失いかけていた。」
忌々しい過去を思い出したせいか、その独特の紅白の色をした目は何処か虚ろだった。
「老若男女問わず、命乞いをする罪のない者たちをも虐殺するよう命じられる日々に、自分の中の何かが壊れていくのを感じた。…だがある日、虐殺を行った残骸を見たときにこう思ったんだ。」
ふと、裂はそのまま立ち止まる。

「俺は何の為に生きているのだろうか、と…。」

裂は空気の澄んだ宝石のように輝く夜空を見上げる。
「だから俺は、反逆を試みた。上層部の奴らの寝首を掻き、自由に生きる権利を手に入れたかったんだ。」
「…。」
「…だが計画は失敗した。どこで情報が漏れたのかは知らないが、いつの間にか俺が寝返ることが上層部に報告されていたのだろう。」
当時の出来事を悔やむように、裂はグッと奥歯を噛み締める。

「いつもの様に任務に連れ出された俺は、目的地である森にたどり着いた。…そこは怨霊が大量に出現する、生と死の境とも言われる樹海だ。」
おそらく、それは伊丹が言っていた樹海のことだろう。
ツヅリは静かに、注意深く話を聞いた。
「気づけば、先導していた組織関係者は皆居なくなっていた。…丸腰のまま置き去りにされたんだ。もっと早く疑問に思えば良かったものの、服従する日々に、気づく余裕も無かった。」
自分の不甲斐なさに、裂は静かに自笑していた。

「俺は必死に出口を探したが、元来た道を辿っても、出口に辿り着くことはなかった。そして、…樹海の怨霊に出会ってしまった。」
裂はゆっくりと、再び歩みだした。
ジャリ、と地面の小石が静かに鳴る。
「いつかはこうなるだろうとは思っていた。それでも必死に逃げ回った。ただ俺は生きたかった。生きて、”普通”の暮らしがしたかった。」

自由になる権利を得て、生きて、普通の暮らしがしたかった。
その言葉が、ツヅリの心を締め付ける。
「…そこで樹海で出くわした伊丹に助けられた…、そうなんだろ…?」
「ああ。…本当に、今でも伊丹には足を向けて寝られないくらいだな。」
ようやく、裂は素の笑顔を見せた。
その笑顔は、心なしか何処か疲れを感じさせるものだった。

「…ようやく手に入れた、俺の真の生きる道だ…。」
その言葉に、ツヅリはハッとし、思わず立ち止まった。
「…裂、まさか居なくなったりなど…、」
「フッ…一時はそうも思っていたが、今日の件もあるしな、考えを改めておくよ。」
焦るツヅリとは裏腹に、裂は落ち着いた口調で話す。
ゆっくりと、ツヅリの歩調と合わせながら。

「ようやく見つけた居場所なんだ…そう易々とは手放す気は無い…、ッ!」
突然、裂が鈍い声を上げる。
肩口に負った傷が、燃えるように熱くズキズキと痛みを放っていた。
思わずツヅリは駆け寄った。
「おい!平気か…!?」
「…、ただのかすり傷だ、この程度、今更慣れている。」
痛みの峠を越え、問題ないように裂は答えた。
その様子を、ツヅリは苦虫を噛み潰した表情で、何もできない自分を悔やんだ。
「すまない…私がもっと早く駆けつけていれば…、」
「大丈夫だと言っている。むしろツヅリが来たお陰で、この程度の傷で済んだんだ。」
ぼんぽん、と裂は落ち込むツヅリの肩を優しく叩いた。

「…それにしても…、」
裂は面白いことを堪えるように、スッと目を閉じる。
「フッ…ハハハッ!」
大声で笑う裂に、ツヅリは呆然とした。
裂がこのように大口を開けて笑うなど、今まで見たことがなかった。

込み上げてくる笑いを何とか抑えるように、裂は深呼吸をした。
「まさか生きているうちに、女に助けられる日が来るとはな。」
「!!」
「あの親子と、俺の命も救ったんだ。…ありがとう、ツヅリ。」
かつて敵対していた者からの、偽りのない感謝の言葉。
それ以上に、別の言葉がツヅリの中で刺さっていた。

「…私を”女”と称す、か…。そうだよな…。」
「?」
不可解な言葉に、裂は疑問符を浮かべる。
先程までの和やかな空気が、少しだけ緊張感を含む。
「…そうだ、この事は誰にも話していなかったな…。」
ツヅリは再び歩き出す。
その傍らを、裂も続いた。

「知っての通り、私はお前と対立する政府組織に属していた。」
ツヅリは夜空を見上げる。
「そこで私は、訓練兵として過ごしてきた。男だろうが女だろうが、扱いは同じだった。…ただ組織に従い、駒のように扱われるだけの兵士として、な。」
「…。」
駒のような扱い。
まるで自分に似た境遇に、裂は顔を顰める。

「そこで私は、女である全てを失った。…これがどういう意味か、わかるか?」
「な、…!」
すなわち、ツヅリは強制的に避妊の施術を受けさせられた。
どんなに拒絶をしようが、駒の言い分など通るはずがなかった。
「もはや政府組織にとって、性という壁は邪魔に過ぎなかったのだろうな。」
ツヅリは取り消すことのできない過去に、悲しそうに苦笑いした。

「民間には都合の良い部分だけを見せつけ、悪い部分はとことん隠蔽する。そして使い物にならない駒たちは、ボロ雑巾のように酷使させられた挙句に捨てられる。…結局、政府組織などという着飾った組織に見せかけて、やっている事は下衆以下だ。」
ツヅリは沸き立つ怒りを堪えながら、グッと拳を強く握りしめた。

「…何故、そんな所に身を置いていたんだ?」
「捕まったのさ。私はこのように、少しばかり力が強いだろ?…それを利用させられたのさ。」
少しばかり、ではないがな。
裂はそう心の中で呟いた。

「しかしまあ、よくそこから出てこれたな…。」
「まぁな。脱獄を試みている者は大勢いた。だが当然、失敗に終わる者も多かった。だから私は、皆の突破口になろうと全力で争った。…故に、組織の蔵をいくつか破壊してしまったがな。」
ツヅリは自分の脱出劇を思い出し、苦笑いした。
脱出の際、ツヅリがどれほど抗い、組織の蔵というものを破壊したか、裂は不思議と想像がついた。

「何日も何日も、死にものぐるいで逃げ切った。生きた心地などしなかった。…そんな中でたどり着いたのが、この万華鏡村だ。竹林で倒れていた私を救ってくれたのが、ふゆはちゃんだった。」
「お前…ふゆはに助けられたのか…。」
ふゆはが助けられる側なら容易に想像がつくが、まさかツヅリが彼女に助けられる側など、思ってもいなかった。
「ああ。…あの時のふゆはちゃんは、まるで聖母のようだったな…フフッ…。」
当時のことを思い出しながら、ツヅリは頬を緩めていた。

「…そんな事があったのか…、政府組織に居たという理由だけで煙たがってすまなかった…。俺は、仲間に対してあんな愚行を…。」
裂から発せられる”仲間”という言葉に、ツヅリは心がフワリと浮いた。
「詫びる必要などない。公にしていなかった私にも非はある。それに、裂から見ればそう思うのが普通さ。」
逆にツヅリから見れば、かつての犯罪者という理由だけで、これまで疑いの目で見てきた。
これでお相子だ。
ツヅリはそう伝えながらほくそ笑んだ。

裂は釣られるようにフッと笑う。
「…政府組織、か…。内面的に見れば、やっていることは俺たちとそう変わりないものだな…。」
目的を成し遂げるためなら、駒の権利は一切無とする。
そんな傍若無人な考えが、裂は一番嫌いだった。

気がつけば、堂々たる佇まいの建物、万華鏡神社が見えていた。
故に、屋敷まであと少しだ。
「…これだけは言わせておいてくれ。」
ふと、ツヅリは足を止める。

「出来る限り、私を女扱いしないでもらいたい。」

その面持ちは、些か真剣なものだった。
「政府組織での話は、いずれは皆にも話すが…いかんせん女とは言い切れない事実が、妙に心に刺さってな…。」
自分でも認めたくない思いに、ツヅリは苦笑いしていた。

「ああ、わかっている。大切な仲間の思いだ、蔑ろにするつもりはないからな。」
そう言いながら、裂は再び屋敷へと足を運んだ。
その後を、ツヅリも安堵の表情で歩んでいった。



無事に屋敷へ戻ると、茶の間にはナギの姿があった。
半魔という特異体質ゆえ、この日も眠ることなく巡回任務まで時間を持て余していたのだろう。
「!」
戻ってきた裂の姿を見て、日頃から表情の乏しいナギが少しだけ驚く表情を見せた。
「やあ、ナギ。」
そんなナギに、ツヅリは軽快に声をかけた。

「何があった。」
ナギは一層真剣な表情で、単刀直入にツヅリと裂に問いただした。
「ただの怪異に巻き込まれただけ、だ…ッ」
「おい動くな。」
肩口に負った裂の怪我は、未だに血が滴っていた。
おそらくかなり傷が深いのだろう、ツヅリは急ぎ処置を施す。

「…何故知らせなかった…。」
ナギの声には、少しばかりの怒りが含まれていた。
そんなナギに対して、自らも治療に専念する裂は茶化すように答える。
「ああ、それについてはすまなかった。見慣れない怪異で、少し余裕がなかった…。だが丁度、ツヅリが来てくれてな。お陰でこの程度で済んだ。」
「見慣れない…?」
状況の読めないナギに、裂は続けた。

「種類は怨霊のはずだったが、邪鬼のようなはっきりとした自我を感じた。今までに例のない怪異だった。…残念ながら、仕留めることは出来なかったが…。」
傷の処置を終えた裂は、そのまま服を着替えるべく立ち上がった。
「明日、幻洛たちにも詳細を伝える。流石にこんな時間に部屋へ押しかけるわけにもいかないからな。」
「…そうか…。」
ナギは短く答える。

時はもうじき寅の刻になろうとしていた。
こんな時間までツヅリを巻き込んでしまい、裂は若干の罪悪感を感じていた。

「………そういえば幻洛だが、伊丹の部屋で寝ていたな。」
「「は?」」
ナギから告げられた突然の報告に、ツヅリと裂は同時に驚愕した。

なんとも奇妙な心境のまま、裂たちは伊丹の部屋の前にいた。
「…。」
そろり、と襖から覗いてみると、ナギの言う通り、そこには伊丹と同じ布団で寝ている幻洛の姿があった。
「…俺は伊丹に用があったのだが、この通り幻洛が完全包囲していてな。」
覗き見をしているツヅリと裂の後ろから、ナギが無表情のまま声をかける。

「…なるほど、な…。」
もはや怪異以上の、見てはいけないものを見てしまったような気分だった。
そうだ、見なかったことにしよう、と裂は謎の冷や汗をかきながらそっと襖を閉じた。

突然、ツヅリが深刻そうな表情を見せる。
「幻洛…、伊丹殿の布団の質が良いなら言ってくれれば買い替えてやるものを…。」
「え?気にするところはそこなのか…?」
「ん?違うのか?」
ツヅリの謎の目の付け所に、裂はガクッと肩を落とす。
同時に、肩に負った傷がズキンと痛み、裂は悲鳴を耐えながら顔を引きつらせた。

「うぐ…、まあいい…、この二人の件も色々あったからな。」
伊丹が突然の失踪未遂を犯し、幻洛が本気の覚悟を持って連れ戻したのも、今や遠い出来事。
自分たちが思っている以上、幻洛にとって伊丹は大切な存在なのだろう。
裂は純粋にそう感じた。

「…大切な者を守りたいという想いに、異論を唱える理由などないからな…。」
日頃から無口無表情のナギも、ふゆはと恋仲になってから、ほんの少しだが、こうした感情を理解出来るようになっていた。

「フフッ…確かにな…。」
各々の事を思い出し、ツヅリも静かにほくそ笑む。
三人は一時の安らぎを感じながら、それぞれ有るべき場所へと戻っていった。

これまで様々な出来事があった。

その者は、好意を寄せる者のために。
その者は、心から愛する者のために。
その者は、真実を生きる者のために。

傍らで、同じ時を過ごしたい。
その一心で、命を尽くしてきた。

そして、この先も。

大切な絆で結ばれた仲間のために。

共に、同じ陽の光を迎えられるよう願っていた。


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